【書評】「100分de名著 真理のことば」ココロが軽くなるブッダの教え

こんにちは、danskblomstです。

先日、シッタカブッタシリーズをご紹介させていただきました。

【書評】「ブッタとシッタカブッタ」シリーズで心の苦を取り除く!

ブログを書くために再度読み返していると、ブッダの考える思想の本髄に触れてみたくなりました。

ただ、いきなり原著にいくのは、リスキーというか、全く理解出来ない可能性がありますので、仏教の入門書として、こちらの本を手に取りました。

こちらは、NHK教育テレビの番組のひとつ「100分で名著」の中で、紹介された内容を再編纂し、書籍化したものです。

著者佐々木閑さんについて

1956年福井県生まれ。花岡大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科、および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、現職。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。

放送当時は、東日本大震災のあった時期と重なるようで、著者もその出来事を意識していたとのことです。

時を経て、ブッダの教えが人々の心に届き、少しでも救いになればという気持ちが、著者にもあったのだろうと思います。

日本人と宗教

本書は仏教のはじまりと、その歴史、そして、ブッダの教えと現代に日本に伝わる仏教との違いを説明するところから始まります。

日本人はあまり信仰心のない人が多いでしょうし、詳しく触れる機会がないでしょうから、お寺で仏像を見たり、お葬式でお経を聞いたりしても、深い意味まで考えることもないかもしれません。

特に、現代の日本人は宗教に触れること自体を嫌がる傾向にあって、それは私が思うに、戦時中の天皇陛下万歳!という信仰や、オウム真理教のような新興宗教の影響によるものではないでしょうか。

どことなく、「宗教」というと、神聖ではあるものの、おかしな思想にハマってしまうと、時には人を殺めたり、猟奇的な行動をしたりしてしまうかもしれないという恐れが、日本人を宗教から遠ざけているように思います。

歴史を振り返っても、キリスト教やイスラムについては、宗教を巡る争いが未だに世界のどこかで勃発しており、日本でもまた、仏教が政治に絡んで戦になったり、権力や欲望の道具になっていたこともありす。

ブッダの伝えたいこと

ただ、本書を読んでいると、ブッダが伝えようとしたことは、私たちが思うような宗教とは、違うと言うことがわかりました。

ブッダの教え、というのは、もっともっとシンプルで、個人個人の心の中にある苦しみをどう取り除き、どう生きるか、それを説いているのです。

この世に生きる人間は、必ず死ぬ運命にあります。

場合によっては、病気に苦しんだり、老いることを恐れたり、また、生きることそのものが辛いこともあります。

その苦悩に満ちた人生を、どうしたら、心穏やかに生きることができるか、その方法を悟り、伝えたのが、ブッダなのです。

そして、その苦悩の全ての原因は、煩悩すなわち、108の人間の欲望によるものであり、それを取り除くことが、心穏やかに生きるための方法だというのです。

しかしながら、誰だって、自分自身の欲望を捨てるというのは、容易なことではありません。

ですので、精神を研ぎ澄まし、ただひたすらに自分に向き合い、欲望から解き放たれるように修行をする、というのが本来のブッダの教えなのです。

煩悩と修行

この修行というのが、かなり大変で、家族やお金や家やいろんなものを1度捨てて、出家し、日々煩悩を捨てるために、質素な住環境や食事の中で瞑想したりするようです。

ほかの宗教では、神に祈りを捧げたり、お参りに行ったりと、割と他力本願なところがあると思うのですが、ブッダの教えを実践しようと思うと、かなりストイックに自分自身が修行を積まなければなりません。

ここがほかの宗教との最大の違いなのかなと思っています。

結局、自分を救えるのは、自分しかいない!

そういうスタンスなんですよね。

そこは、ほんとにほんとにその通りなんだと思います。

まぁ、物理的に助けてもらったりすることはあるかもしれませんが、心の問題に関しては、だれかにサポートをしてもらったにしても、根本的には解決しなくて、結局自分の心の持ち方とか考え方を変える必要があるんですよね。

それがなかなか出来ない。

そこで、やはり修行が必要だということなのです。

まぁ、わたしなんかは欲にまみれており、まだまだああしたいこうしたい、となんやかんや思ってますので、全く出家する気もないのですが、苦しみを感じると、ブッダの教えにふれて、客観的に自分を見つめるようなことが必要なんじゃないかと思っている次第です。

ブッダの教えとアドラー

最近、アドラー心理学が流行っていましたが、実はこれもブッダの教えによって、実践ができるんじゃないかと考えています。

またいずれアドラーについては書こうと思いますが、アドラーは他人の目を気にせずに、自分本来の生き方をすることを提唱しています。

いわゆる「嫌われる勇気」ですね。

他人がどう思おうと、自分の道を行く。

確固たる自分をもって、人間関係という心の問題の根源をクリアしていく。

これに触れた時その通りだ!と思い、自分を大事にしていこうとしたんですが、これがなかなか出来ない笑。

アドラー心理学には、実践編はないんです。

なぜなら、全ての悩みは人間関係が原因だとしておきながら、その人間関係の解決策が、「嫌われてもいいと思うこと」ですから。

いや、嫌いな人に嫌われてもいいやとは思えますけど、誰でも彼でも嫌われてもいいとは思えないですよね、普通。

それは結局、煩悩を捨てきれないから、そうなるのではないでしょうか。

人間は煩悩の塊ですし、動物は煩悩のままに生きています。
全てを捨てて一生を捧げて修行をしなければ、煩悩は捨てれません。
そのまま捨てれないまま死んでいく人もいるかもしれません。

そんな難しいことを、アドラーは、さくっと「嫌われろ」と言っているのです。

これではいつまで経っても、悩みは消えません。

それなら、それで、むしろ人に好かれるように生きた方が楽なんじゃないかとも思ったりもします。

人が付き合って、楽しいなぁ、楽だなぁって思われるような生き方の方が断然苦しみは減ると思うのです。

毎日を生きること自体が修行であり、過去のことでもなく、未来のことでもない、今この瞬間を心穏やかに懸命に生きること、それを日々意識することが何より重要なのではないかと思います。

ブッダの考える「自分」とは

もう1つブッダの考えに触れて、面白いなぁと思ったのが、「自分」とは何か、についてです。

「自分」というのは、物質の集合体であって、絶対的な「自分」はないのです。

細胞も血も骨も、みんな歳をとるにつれて生まれ変わります。

いまの自分の肉体が、10年後そのまま残る訳ではありません。

心だって変わります。
昨日悲しかったのに、今日は嬉しかったり、日々違う自分がいます。

だから、別に過去の自分がいろんな失敗をしたからって、今の自分とは違うのだから、またそこから踏み出せばいいのです。

いまの自分だけを見ていればいいのです。

わたしたちは過去や未来のことばかり考えて、不安になったり、心配したりしていますが、それがどれだけ無駄なことかと、ここで思い知りました。

ただ、いま、この場にいること

それが最高に幸せだということなのです。

この地球上の生物に、生まれながらにして、生きる意味を持っている生物はいません。

そう、生きることに意味は無いのです。

人間だけが、あれこれ考えて、生きています。

でも、誰も生きることに意味はないと分かったら、何も成し遂げなくてもいいと、気負わず生きれるようになると思います。

日々の暮らしに目を向けて、出来ることを少しずつ。
そんな生き方がいいなぁと思いました。